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エッセー テーマ「苦笑」

1800字 エッセー テーマ「苦笑」 200906 檀 一二三   

 成り行きというべきか都合と言った方が良いのか、表題のエッセイ「夢」から始まり「怒」を綴った。そこで終わると思い、やれやれと一息付いたところ、何かがふっと肩に触れた。「おい」と声を掛けた者がいる。「なんだ、きみは?」と尋ねたと思う。つまり声は聞こえるが人影が見えない。なんと彼はもう一人の自分だった。
 通常自分には僕と俺の二人がいる。二人は同じ身体に適当に同居していているのだが、どういうポテンシャルでバランスをとっているのかよく分からない。価値観や趣味なども共通していて、理屈好きな性格も似ている。多分二人は結構仲がいいのだと思う。その昔、気持ちも身体もエネルギーに溢れていた年齢の時には凡そ、俺が俄然前面に出ていた。むしろ出過ぎで随分廻りの人々に迷惑かけたと思う。そのころにはそんなに気にかけていなかった。分別が欠落していたのだろう。いろいろな意味で始末が良くない。どこでいつどう変化したのか不明瞭だが最近は僕が多い。今ではそういう感覚よりもむしろ明日のことが大事になってきた。
今気にしなければならないことは山ほどある。声に出したくはないが第一に年金制度。年金の増額は無理としても減額はしないで欲しいと願う。生活は攻めから一転し守りの体制へと変化してきた。急速に変化する社会では僕のほうが生活環境に適している。ガラパゴス島の動物ではないが、社会環境に順応したことになる。適応性は柔軟な反面、運動の反応速度が鈍くなった。車庫入れも何度か繰り返す事が多い。
 悪いことばかりでもない。機敏性の減少に半比例し、先見力は広くなってきたようだ。日頃のニュースなどの報道において、限られた僅かな情報でも、その裏に隠れた生業や要因はおよそ推測できる。これは重ねてきた経験の幅と深さのおかげだと思う。
近年時間はあるものの経済力は豊かとはいえない。資金が底を付いた訳ではなく、不透明な未来に予算が組めないのであった。と言って何もしない人生など面白くない。失敗を恐れず前向きに生きなければならない。
現在サラリーマンの息子は今や中堅となり、夜遅くまで働いているらしい。たまの休日に実家へ帰省した時には、一杯飲みながら息子と親子の対話をする。
「お父さんは毎日が日曜日でいいなあ」
 おいおいこれでも父は結構忙しいぞ。年に一回ぐらいかもしれないが、受診する健康診断は心臓、呼吸器、腰、脳、脊椎など数種類では済まない。半年に一回の定期検診に加えて風邪や腹痛などで月一度以上は病院通いをしている。加えて脳の海馬の衰退防止と向上心促進のために、町の教育講座に月一度ぐらいは参加するし、話題の映画や劇団も見逃せない。老人性行動の単純化を避けるために、文楽など古典芸能にもたまには触れなければならない。この年齢において欠かせないことは、片手に鍬を掲げ畑を耕し、無理が重なり痛めた腰は整形外科のリハビリで治す。これこそ近年始めた自給自足に備えるルーチンだった。暇そうに見えるが実は時間が足りないのである。息子は理解したのか頷きながら応えた。
「やっぱり父たちは、楽しそうだ」
 楽しそうなのは、辛そうに見えるよりは良いかもしれない。しかし息子達には想像できないだろう。辛さの筆頭は浅い睡眠。つまり夜遅い就寝と朝早い起床。睡眠が不安定なのだ。夜目が覚めるとテレビを付けビデオを検索する。今まで忙しくて観ることが出来なかった映画を手あたり次第鑑賞するようになった。現役で奮闘している若者達には申し訳ないが、おかげで随分世界観が広がった。娯楽映画の大国アメリカから始まり、一方人間味溢れる北欧映画、伝統的貴族の英国映画、知的でウィットに飛んだフランスやイタリヤ映画、シリアスなロシアやポーランド、スウェーデン、ドイツ、インドやブラジルなどの映画ドラマからは日常生活や風土を感じる。どの映画も興味深い物語はいろいろあるが、中でも好みはフランス映画。この国の死生観が淡白で面白い。睡眠不良解消とは言え、夜な夜な観ていた世界の映画に退屈し、いつしかポルノ映画の検索をしていた。
最近夢見が悪くなった。どんな女性か記憶にはないが、浮気をしている夢である。スクリーンの如何わしい残像かもしれない。浮気願望? まさか、今さら。
 長い診療所通いで仲良くなった若い看護師さん達が増えたのは確かである。老人らしく姿勢を正す必要がある。しかし毎日テンションだけは上げていたい。
一人苦笑するしかなかった。

--了--

創作連載小説「プレズムAI」 続(2)

創作連載小説 プレズムAI 続(2)  檀一二三  

荒筋 
飛源元年、西暦2060年、北極上空のオゾンホールは地球電離層表面の八分の一までに拡大していた。三年後妻十志子は、事前に登録してあったヘブンホスピタル、自己終焉病棟で先に逝った。順造の今欲しいもの、それは、
「AIアンドロイド・・・」

妻は早々にこの世に見切りをつけた。
仕事一本で来た人生だった。その間に多少の浮気心が生じたことがあったのは妻も承知していたが、最後の一線は超えていない。妻自身も周知のことだった。ただ妻はいかに年齢を重ねようとも、夫婦の間に他の女性が入ることは許せないと日頃から主張していた。
「私、もういいかなと思ってーー」
あっけない妻の最後の言葉だった。
「結局原因は僕なのか・・・」
すっかり冷めた食卓テーブルの上のコーヒーカップを片手で持ち、壁際にあるガラス食器棚の器を呆然と眺めながら順造は思いに耽った。三人の子供もそれぞれ家庭を持ち、その子供達も独立しかつ高齢だった。生きるために働いたのか、あるいは働くために生きてきたのか。この長い夫婦として暮らした時間は一体何だったのだ。妻と付き合い始めた期間を入れると凡そ九十年。確かにもういいかなと言われてもそんなにおかしい年齢でもない。そうだとしてもやはり空しい。
順造はIDカードを手首にはめ、エアタクシーを呼び、ライフヒュージョンセンターへ向かった。そこは老後や退職後のライフスタイルを設計してくれる。
手配したエアタクシーのドライバーはアンドロイドだった。車はADAS(先進運転支援システム)を搭載したCAV(コネクテッド・オートノマス・ビークル)車で、本来車は自動運転でドライバーは不要である。同乗したアンドロイドはライフヒュージョン社のアシストサービスの一つで、自然災害などによる緊急時の対応も兼ねている。ドライバーはその日のタクシー送迎プログラムによって自由に選べる。順造は美女の中でも少々運賃が増すが、往年の大女優アメリ風の運転手を指名した。
遥か北のほうに富士山の白い頂上が覗いていた。
ドライバーが話しかけてきた。
「今日は奥様とのご旅行ですか?」
順造はその質問に応える余裕もなく、しばらくは彼女の上質な笑顔を楽しむことにした。順造は無言で微笑みを浮かべ、流れる車窓の景色に身を任せた。
前方に雲を突き抜ける前面ガラス張りのビルが見えてきた。建物は地上二百八十五階建て、一階から九十九階までは官庁金融商業集合施設、百階以上はタワーマンションになっている。もはや一般的となったG(次世代)型超高層ビルの耐震性はM九まで耐えられる。
従来の市街地にあった既存住宅は、都市条例によってG型超高層マンションに集合され一都市を形成していた。その結果、町郊外は荒涼とした原野が広がっている。
産業AIロボットの普及は人の労働負担を軽減すると同時に、企業はAI管理のための高い能力を持つ人材を求めた。中間労働者層のニーズは徐々に減少し、新たに生じた経済格差は、新生児の出生率減少の大きな要因となった。人口減少対策は国の優先すべき政策だった。
センターのショールームは十階部分にある。その水平レベルは、温暖化による海抜ゼロ予定ラインでもあった。エアタクシーはその入り口のホールにゆっくりと滑走しながら停車した。

--(3)へ続く--

エッセイ テーマ「怒」

1800字エッセイ テーマ「怒」 檀 一二三  200901(火)晴れ

 取り留めもなくネットで脳と怒りの因果関係を検索する。いくつかネットサーフィンしてみた。関連するホルモンにはドーパミンやノルアドレナリン等があるようだ。詳しいことは専門家に任せるとして、とにかく怒は健康によくない。笑っていた方が良いという。健康推進派としては、怒という感情はあえて触れない方が良い。確かに怒が無かったら戦争も少なくなるだろうし平和も望めるだろう。それでは怒は悪で笑は善と言えるのか? 更に疑惑が広がる。人は元来善か悪か? この永遠の問いに以前は随分悩んだものだ。ある人の主張によると、人は生まれながら善人で、環境によって悪を知るとか知らないとか。未熟で一寸先の将来が見えない青年時代では大変興味があった。それから随分と時間が経った今、そういうことはどちらでもよくなった。その要因は一体何だろう。根気が無くなった、あるいは悩が退化した?
 今年の正月、久しぶりに出会った高校卒業間近の姪が話していた。自分の成人式の時には、キラキラとして、しかも高く盛り上げた豪勢なヘアスタイルで参加したいという。道徳的な話題よりも目立つことが楽しいそうだった。検索によるとこれがアドレナリン、副腎髄質ホルモンと呼び、交感神経を刺激して分泌されるとある。脈拍が早くなり血圧が上昇するこのホルモン、キラキラする時だけではなく、闘争心を持った時にも分泌されるらしい。闘争心と怒は同類ではなかったか。この不思議な輝きと闘いの感情を更に掘り下げてみたくなった。
そこで、怒の語源を深読みする。その部首の構成は女と又と心、この三つの漢字の象形的構成が興味深い。そもそも、なぜ左偏上部の部首は女なのか。差別的ではないだろうか。仮に左偏を力、右偏を又とする。その方が怒の見た目の漢字の構成が良い。納得いかない点はまだある。上部右偏の部首の又も気に入らない。又は股の一部で月偏は肉を意味する。肉の又などという表現は、近年よく話題になるセクハラにはならないのか。そこで怒という文字は、右偏上部の又を口という字にしてみたくなった。上部部首の構成は加となる。不可解なことは下の部首の心。怒に心などは不要ではないのか。必要なことは激しい感情とむしろ容赦のない攻撃に近い要素。もし長寿を全うしようと願うならばこの容赦ない攻撃的感情は、むしろ一旦横へ取り下げた方が良いらしい。しかし一度生じた怒を止めるのは容易ではない。聞くところによると、そこはまさに訓練だという。数秒でいい、一呼吸してゆっくりと息を吐き、怒をひとまず横に置く。すると一瞬心が落ち着く。つまり怒の下の部首の心は感情を表す意味であった。確かに辻褄は合ってきた。再考した結果、怒という漢字は力と口と心となった。
 日本女性解放運動の先駆者、平塚らいてうさんの主張によると、なんと女性は太陽だという。ということになると、怒という字の左偏上部の部首は女偏に戻さなければならない。結局怒は女、口、心という構成になる。これが辿り着いた怒りという漢字だった。
ふと頭を上げて何気なく見た居間の棚。額縁に入れられた古い新婚旅行の記念写真に目が釘付けになった。なんと評価すべきか、眼光輝き頬骨は尖り頭部には黒髪が光っていた。この人生最高の幸せの時間になぜ、そんなに厳しい表情で立っているのだ。我ながらその前方を見据えた姿に絶句する。人はなぜ怒る? しかし本来の怒ではない。若き自分の立ち位置を固辞する闘争の姿でもある。先の読めない不可解な敵との闘争は生きる原動力だった。空腹になると食欲が、子孫の種を残そうとすると性欲が湧く。その行動は責任感や達成感などではない。むしろ野性的な欲望に似ている。行動の原動力は欲望、欲望は生命力、生命力は怒のエネルギー、エネルギーは自身の躍進から向上心へと繋がった。向上心を伴う活動は圧し掛かる困難を振り払い、挫けかけても立ち上がり、人格をプラス思考へと導いた。こうして過去を俯瞰してみた時、怒の深層は他にあるような気がした。
怒は忿怒ではない。生命のエネルギー即ち、無垢で穢れのない心ではなかったのか。果たして怒の辿り着く場所、それは愛の心だった。
 怒という漢字を深読みしていくうちに、どこからともなく穏やかな気持ちが漂ってきた。交感神経から愛情ホルモン、オキシトシンが分泌されていたのだろう。
 今さらだが、文筆という行為は、怒りという言葉のストレスを痰壺に吐き出していたに過ぎなかった。
 怒りの痰壺はやがて醗酵し、愛の芳香を醸し出すに違いない。

--檀--

連載 創作小説「プレズムAI」(1)

連載 創作小説「プレズムAI」 檀 一二三

飛源元年、北極上空のオゾンホールは地球電離層表面の八分の一までに拡大していた。地上へ降り注ぐ紫外線は増加し、太陽から発生する地球上の磁場の変位は、あらゆる分野の通信情報の混乱をもたらし、株価下落など経済成長の大きな妨げとなった。急遽開催された主要二十六カ国世界地球環境会議で採択された地球保全対策は、オゾン再生の原点に返るという理念に基づくものだった。森林伐採及び畜産動物の育成規制の他、車は地上の道路を走行しないという採択である。最終的には条例細則において車両の一般道路走行は厳しく制限され、アウトバーンのみ使用可能と明記された。奇策として車両は地上五センチメートル浮上して走行するホバークラフト車へと移行した。その後車両の開発は急速に進み、EV車の車体は不燃パルプとカーボンとマグネシュームで成形され、その重さはかつての重量の十分の一以下となった。エンジンは小型軽量化が進み、車体はすべて多層型ソーラー蓄電パネルで覆われ、リチュームバッテリーの蓄電率は大幅に増大した。車は風力ターボエンジンを装着し、道路上部を推進するホバークラフト車から空中飛行車へと変遷していった。車両はそれぞれ電気総出力により飛行高さが規制され、上下前後左右の立体マトリックス上の軌道を飛行しなければならない。もはや空に浮かんでいた白い雲の眺めが懐かしい。上空に見えるのは無数の亀の腹部のような車両の底面だった。
西暦二千七十年、飛源十年、穂波順造は地球エネルギー開発公社E・D・Pを満百二十歳で定年を迎えた。その後三年間、公社のボランティア要員として地球環境エネルギーコンサルタントに従事することが内定している。給与は交通費以外ほぼ無給だったが、社内年金の支給により、贅沢さえしなければ通常生活は可能だった。
それにしても長い勤務だった。しばらく休養も欲しかった。在社中にはできなかった趣味などにも興じてみたい。妻十志子と旅行もしたいと思っていた矢先だった。
その年の春、十志子は一ヵ月前から寒気が続いていた。昨夜嵐のように吹き荒れていた風も朝方になると止み、前日霞んでいた遠くのビルが鮮明に見える。午前十時頃だった。野菜と魚と果物など三種類のチューブ入り朝食を済ませ、食後のティーを飲んで一息ついた時だった。十志子はダイニングテーブルに両肘を突きながら、
「あなたごめんなさい」 
「なんだよ、急に」
「私、お先に失礼していいかしら」
「お先ってなんだよ」
「もういいかなと思って」
いいかなと言えば、今や常識となっている細胞更新のことである。
「おいおい、それはないだろう。君も知っている通り、僕はあと数年でリタイヤだよ。せめて・・・」
順造は困惑した。十志子は掌で、すっかり白くなった自分の髪の毛を撫でながら、
「あなたも頭脳はしっかりしているし、私も同じよ。でも身体がついて行かないの。だからいろいろなところへ行ったり観たりできなくなってくるじゃない。そう、確かな感動はそれなりにあるのよ。それでね、私もういいかなと思って。あなたには悪いけどそうさせていただけないかしら」
退職後の楽しみは夢だったのか。十志子はすっかり縮んだ腰を折り曲げながら身辺整理を始めた。子供や親戚友人達と挨拶を交わし、半年後の秋、事前に登録してあったヘブンホスピタル、自己終焉病棟で先に逝った。三年後、順造はE・D・Pを退いた。西暦二千七十三年の春だった。寿命は金で購入できる時代である。更に寿命を延ばそうと希望するならば、IP細胞の体内細胞を更新していけばよい。ただし脳細胞の再生は可能だが、運動機能は脳ほどには活性化できない。心は若くても体力は徐々に衰えていくのである。トレーニングの他、老化していく細胞をアシストする優れたサプリメントもあるものの、順造はもうこれ以上の延命の必要性を感じていなかった。
順造の今欲しいもの、それは、
「AIアンドロイド・・・」

--(2)へ続く--

テーマ色 『一つの相違点』

「ダンさん」の1800字エッセー  テーマ色 『一つの相違点』 200826(水) ダンヒフミ

 面白くない話題を考えようと試みる。そう考えていると思考が迷路に入る。迷路に入ると思考の悪魔と同化する。同化すると面白くないことが面白くなる。そうなるともはや変人と呼ばざるを得ない。変人は、実際には面白くないのに自分だけが一人面白いと思うので、周囲から変な目で見られる。更に書き続けると周囲から疎外される。そういう日が続くと鬱になる。鬱になると薬を飲む。薬を飲むと気分が良くなり元気を取り戻す。元気になると何かしたくなる。何かしても薬の効用で疲れの程度が理解できない。気分が良いのでとりあえず机に座ってペンを持って物書きをする。主題も決めず取り留めなく書き続けるうちに脳の思考は悪魔と同化していく。思考はもはや迷路の中にいるのである。今まさにその状態にありながら、随筆のテーマ「色」についてあれこれ考えていた。隣人から疎外されつつも、思考は迷路の領域にあり、やがて脳の核へ侵入すると突然変異を起こす。
 そこで最初に思い浮かんだのが『色情』だった。確かに色ではあるが、品性に欠けるので出来るだけ避けたいところである。江戸時代に書かれた草双紙『好色一代男』などは、題名からして興味深い。同じ言葉でも『色魔』などはもはや死語に近い。『色欲』に至ってはいずれ忘却へと向かう。『性欲』はホルモンに比例し、その分泌量の多い時期はコントロールに苦労する。徐々に気が重くなってきた。話題が暗い。もっと楽しい話はないものだろうか。そういえば好きな色があった。ずっと昔から紫色が好きだった。花で例えるとショウブやアヤメなどの色である。紫色はどちらかというと、神社仏閣の幕や衣など、神事によく使用されることが多い。お清めの色、又は神聖という意味合いで知的なのかもしれない。紫で湧いてくるイメージもある。紫式部さんと言えば紫を思い浮かべるが、あくまで勉学の域ではなく、イメージの世界である。紫に憧れることに変わりない。また薄紫色においては、観ているだけで心がロマン化する。ロマンが脳内を独り歩きするのである。例えばライラックの花は恥じらいのロマンとなる。枝先に無数に広がる小粒の花びらに顔を近づけると、鼻孔にかすかな香りを感じる。その微香なところが実にいい。奥ゆかしい香りは瞬時に感情の 覚醒を始め、しいては花に恋をし、空想のロマンが心を支配するのである。
赤色にも好きな色がある。彩度の高い赤よりも、むしろ僅かに紫の入った赤色がいい。服飾の世界では、ほどよい赤色は、独自性のあるブランドとなる。
 困難な色の再現と言えば黒色かもしれない。微細な紺あるいは緑色を混入した黒もある。冠婚葬祭の黒色は庶民的な黒と言える。アルマーニの黒色はハイソサエティーで魅力的に見える。同様に山水画の黒色は心が穏やかになる。勿論画家の筆力にもよるが、墨色自身の持つ感性によるのではないだろうか。そういえば色の三原色の赤、緑、黄を混ぜると黒になる。有彩色を突き詰めていくと黒になる? 論点は飛躍し、すべての有彩色は行きつくところ黒色となり、暗闇となって色そのものを消失していく。もはや色は瞑想の世界へ誘われていく。
 『色』という原語の意味を別の視線から思考してみた。思いついたのは『色即是空』という古典的な仏教詩。漢詩をそのまま読むと、『即ち色はこれ空』となる。仏教哲学の中でも最も難解な一節ではあるが、色はあるが見えないという。ここでの『色』は色彩の三原色ではなく『物』、つまり物体や形を意味している。言い換えると、形は見えないものということになる。つまりこの場合、色は人の観念の中にあり実際には見えない。
 ところがその色が見える場所がある。ほぼ人の肉体が死に近づく時におよそ見えてくる光や景色である。その景色は、人の生命力の限界に近い所に存在する。金色(こんじき)の神々しい光と、美しい花の中に包まれるらしい。一度死亡して、その後、奇跡的に生き返った人の話に多く聞かれるという。実際に見たことはないので確信は持てない。スポーツのアスリートの間では『ヘブン』と呼ばれ、静寂で崇高な世界と聞いている。これも体験したことがないので本当のことは分からない。
古来人はこの光に憧れた。それほど美しい所ならば、できれば生きながら観てみたいという願望が出てくる。願望はやがて『即身成仏』への道へと繋がり、生命の永遠の課題となった。難解な世界なので深くは語ることが出来ない。ここで筆を止めよう。筆者にとっても読者にとっても時間の浪費に近い。しかしながら一つの相違点がある。唯一筆者は至福の世界にいたのである。(ダン)
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キャフェ ド モザのマスターです!コーヒーと庭と花の愛好家です。「モザマスターの日記」を担当しています。
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