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3000字エッセー 天界の文(ふみ)

3000字エッセー 天界の文(ふみ) 【方丈記口語録】  檀 一二三


【方丈記】
 注釈・以下文中【】は段落、()は概要、『』は原文、〈〉は筆者の創作訳文、「」内は筆者の加筆とする。以上段落と概要と口語訳はネット検索情報を引用した。(鴨長明。千百五十五年~千二百十六年。平安の歌人。晩年‹千二百八年›京都大原日野山にて一丈四方「一辺三.0三メートル四方、広さ約五・六畳」の草庵を建て隠遁生活に入る。究極の庵と生活を通し人生の「無常」を悟る)
 尚この【方丈記口語録】を、筆者の父円恵‹僧侶・千九百十七年~千九百九十六年・没後二十四年›への天界の文(ふみ)として、同人「きなり」最終号に書き印す。   

【序文】
『行く河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と、またかくのごとし。』
 
【庵の生活】
 (五十歳の春を迎え、家を去り世俗に背を向け、六十歳の露消えがたきころ、無常の悟りを求め生涯の場所京都大原日野山に小さき草庵を建てた。)
 〈庵の生活は簡素であった。山の峰から明るくなる暁に始まり昼明りと共に働き、やがて深山の闇の中で床に伏す。暮らしは朝の四季にはじまり、夕べの四季に閉じる。その風情は優しくもありまた厳しくも或いは耐え難きに狂う程の時もある。南側の林の裾に小さな岩の隙間から流れる山水に、〉割り竹の筧を掛けた。「水口には小岩を積み岩清水を溜める。」林の枝は低い軒先の近くまで届き、指先で枯れ枝を折り、拾っては集める。〈風に揺れる木々の葉音は梢に消えさる。この単調な日々にてもろもろの雑事に追われながらも、小さき気楽さに助けられる。庵の裏はマサ木に絡む葛が鬱蒼と茂り、奥深く続いている。その茂みの中にポッカリと広がる青い空。〉久しく便りなきにしもあらず。春は藤、紫雲のごとく西の方へと香る。夏は郭公、晴れた空の谷間に遠く渡る鳴き声は、〈カッコー、カッコー、しばし待たれよと、〉死出の山路の契りを語る。秋はヒグラシ、その鳴き声は木々の間に満ちあふれ、虚しきこの世を悲しむかに聞こえる。冬は雪、静寂と無言の叙情へと誘い、夕べに積もった新雪の、やがて朝日に溶ける様は生ける罪の流れの如し。庵の閼伽(あか)棚(たな)(神棚)に阿彌陀仏と普賢菩薩の仏画を掛け経典を置いた。〈阿彌陀仏に浄土の菩提の教えに眼を傾け、普賢菩薩に一切の成就を願い、〉念仏の唱えに疲れては休む。一人のための自己の禁戒は守るとしても、守るべき禁戒の境界が存在しないとき、何を持って破るに至るのか。〈石清水の細かく砕ける〉白波を友とし、我が身を寄せ徒然(つくねん)と明日を迎える。

【憂いなき心】
 庵の楽しみの一つ、春はススキの若穂や岩梨を、或いは零(ぬ)余(か)子(ご)「自(じ)然(ねん)薯(じょ)の実」を採り芹(せり)を摘む。山麓をめぐり歩き、稲田に入っては落穂を拾い、穂を繋いで麦かごを作る。うららかな日和には山の峯に登り、はるか向こうのふる里の空を望み、その下に繋がる木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師(はつかし)を眺め、景観を心おきなく楽しむ。健脚と感ずれば遠出を試み、峯続きの炭山を超えて笠取を過ぎ、神々の宿るという岩間を詣で石山「石神」を拝む。〈林立する杉の間を抜け、苔むした石段を登り、風雪に晒された縄と御幣(ごへい)を巻いた太い御神木に出会い合掌する。緩やかに上がり下がりしながら、尾根の細い道際に横たわる無縁仏の石塚に低頭する。〉大津の栗津の原に入り、盲目の琵琶法師蝉丸翁の遺跡を巡礼し、鴨川の支流田上川を渡って、平安の伝説的歌人猿丸大夫(たゆう)の墓を詣でる。家路への道すがら、趣のある桜の枝があれば折り取り、薄紅色した若芽のワラビを見ては摘み、木の実を拾っては持ち帰り、御仏壇にお供えし、その日の家の土産ともする。
 静かなる夜、薄青い闇の迫る庵の窓越しに見える小さな月に故人を忍ぶ。遠く聞こえる猿の声にふつふつと湧いてくる言い表し難い涙が袖を濡らす。〈この溢れ出る涙に混迷する心は、寂しさか或いは幸せか不幸の涙か悟りか、そのいずれでもない、紋々とした思いが深層から忍び寄る。〉心落ち着き、草むらの蛍は遠き小島のかがり火。暁の雨は容赦ない木の葉舞い上がる嵐のごとし。一人路地に繋がる畑に佇み、山鳥のホロホロと鳴く声聞けば父母かと疑い、「微(かす)かな物の臭いに誘われて、庵に近づく山神の使者とも思しき」かせぎ「鹿」の遠ざかる姿に現世を感じる。夜更けには火鉢の灰の中にて、およそ白くなった埋め炭の赤く小さい炭火を掘り起こし、その僅かな温もりを老いの寝床の友とした。一寸先の暗闇の迫る山中に恐ろしさはないものの、何処からともなく鳴くふくろうの声に親しみを感じる。四季の折りなす山中の錦は、先人や聖者の深い知識と重なり更なる情緒を誘う。
 およそこの山に籠り始めたとき、にわかな思いではあったものの、今日まで五年の月日が過ぎた。この庵もやや古家となり、軒の落ち葉は朽ち、土台は苔むしてきている。都の風の便りによると、高貴な方々の訃報や火災など数知れない。この仮の庵であるがゆえに慌てふためく恐れもない。狭きながらも伏して寝る床もあり昼間座る場所もある。独り身が宿るに不足はない。ヤドカリは小さな貝を好む、即ち身をわきまえる故と考える。鶚(みさご)は荒磯に住む、即ち人を恐れるが故である。小生の処世觀も同様、己を知り世間を知れば欲望の無限性は無い。静かな心を望み憂いなき心を楽しみとする。

【不請の念佛両三篇を唱え】
 そもそも一期(いちご)の月影かたむき、餘算(よさん)「寿命」、山の端に落ちるが如し。たちまち三途の闇に向かう時、何の災いのせいとするのか。およそ佛の教えは、事に触れて「折節に」執心(しゅうしん)「物欲」を超越すべし否か。今ここに来てこの庵を愛する欲望も罪とし、閑寂に生きる執着心も障りと解する。いったいどのようにこの罪なる風情を語り、新たなる時を過ごすというべきか。静かなる暁、この矛盾の世界を想い続け、自らの心に問いかける。世俗を逃避し山林にて隠遁するは、心を修めて道を行わむがためなり。ところが汝、姿は聖(ひじり)に似たりとも、「煩悩拭い去ることなく」心濁り染まりけり。庵の生活は「釈迦の一番弟子を優る弟子」淨名居士(じょうみょうこじ)「法華経の祖、維摩居士(ゆいまこじ)」の跡足を穢すと言えども、釈迦の弟子周梨槃特(しゅりはんどく)の行いにも及ばず。これ即ち貧賤なる心に起因する報いか、或いは妄心の終焉の果ての狂乱なるか。その時、心眼悟り得ず。〈衣の襟は擦り切れ、裾は綻び糸を引く。無常の日々を過ごし、もはや琴弦の音久しきころ、〉臍(ほぞ)を絞り舌の根元に力を込め、不請(ふしょう)「慈悲と成就」の念仏、両三篇「阿弥陀如来と普賢菩薩の如来の真言数回」を唱え「閼伽棚を閉じ」る。時に建暦二年「千二百十二年」三月の晦「みそか」、桑門蓮胤(れんいん)「僧侶鴨長明」、外山の庵にてこれをしるす。
「迷いこそ即ち悟りなり。迷い無くして神仏無し」と。
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